先ほど開催されていた平昌オリンピック。
冬季の競技にそれほど興味はなかったのだが、
繰り広げられる熱戦に、
それはそれはたくさんの勇気と感動を貰った。
なかでも男子フィギュアの羽生結弦。
日本中が彼の演技に魅了されたことだろう。
正直なことを言えば、彼のことはそれほど好きではなかった。
同性に嫌われるタイプの女子という表現は一般的だが、
彼はその男子バージョン。
あのなよっとした雰囲気がどうも苦手だったのだ。
だが、今大会で彼に対する印象は180度変わった。
ケガから復帰し、ぶっつけ本番の大舞台でやりきる精神力の強さ。
今まで誤解していたが、彼は男の中の男だ。
同年代の私であるが、もはや尊敬の念しか出てこない。
一方、羽生がその強烈なスター性を見せつけ金メダルを獲得した日、
もう1人、脳裏に浮かんだ男がいた。
「羽生はもうあの人ぐらいのスターだな。」
そう思った“あの人”・・・それはイチローだった。
偉業を上げればキリがない、日本の野球界が誇る大スター。
彼もまた、異常なまでのその精神力に、
ただただ尊敬するしかない一人だ。
今日、イチローの、古巣マリナーズへの復帰会見が行われた。
朝からテレビが報じるその様子が、未だ衰えない彼の人気を示す。
そして彼は、イチロー節とも言うべきか、独特の口調で、
古巣へ復帰する喜びを語るのだった。
羽生とイチロー。
彼らに共通していると思うのは、
その一挙手一投足がつねに未来とつながっていることだ。
言うなれば、彼らは自身の言動によって、大きなストーリーを描いているように見える。
それが故意なのか偶然なのかは分からないが、
凄みを感じる最大のポイントだ。
小難しいことを考えてはみたが、
簡潔に締めくくってしまえば、自分はどんなストーリーを描いているだろうか?
そもそも、ストーリーを描こうとしているだろうか?
描きたいものがなくて、努力が出来るだろうか?
マンガのような凄いことをやってのける彼らと同じ世界に生きていて、
キラキラした自分をイメージするのは自由だ。
大きすぎるぐらいの夢を持とう。
そう思った今日だった。