昨晩の日本アカデミー賞を見ていた時のこと。
助演男優賞を受賞した村上虹郎は両親がともに芸能人らしいのだが、
そんな彼を番組では
「表現者の血を受け継ぐ・・・」
と紹介していた。
私は、その表現者という言い回しが何故かとても気に入った。
当たり前ではあるのだけど。
そういえば最優秀主演男優賞を受賞したのは菅田将暉だったが、
1ヶ月ほど前に放送されたテレ朝系の音楽番組“関ジャム”で、
音楽プロデューサーのいしわたり惇治が、
歌手活動もこなす菅田の楽曲に対して面白い評価をしていた。
いつからか日本の音楽はアーティストと呼ばれる人たちの自己表現の場になってしまいましたが、かつては「役を演じるプロ」である俳優ならではの歌というのが沢山ありました。菅田将暉の歌を聴いていると、忘れかけていたその感覚が帰ってくる感じがします。
私自身は音楽的造詣が深い人間ではないため、
俳優ならではの歌というものが音楽界に必要な理由や価値までは分からない。
ただ、ヒットチャートや音楽シーンに一石を投じたであろういしわたりのコメントと、
自己表現でなく誰かの代弁者として歌う“俳優”菅田将暉から、
時代に流されない芯の強さや美しさを感じたのだった。
昨晩、表現者という言葉を気に入ったのも、似たようなところがあるかもしれない。
自らを表現するだけならば、誰だって何かしらの方法で出来るのである。
すなわち、誰しもがアーティスト。
だけど表現者という言葉を使うことによって、
彼ら芸能人は自己表現よりもっと先を生きている感じがヒシヒシと伝わってくるのだ。
そんな言葉にこもったリスペクトが、どこか気持ちよかったのかもしれない。
もっとも、俳優を他の言葉で表現することもまた難しいのだけど。