昔からなんでも飲み込みは早い方で、
パソコンのソフトを扱うことなんかは得意だったりする。
最近、 愛車の3Dデータを作ってみたので、
それをDMM.makeに発注してみた。
縮尺は1/43、ミニカーとして一般的に流通しているサイズだ。
軽自動車なので全長は8cm程度。
だいぶ小さいのだが、細かいところまで正確に造形してくれる。
凄い時代が来たものだ。
とはいっても、送られてくるのは未塗装。
完成させるには自分で塗装するしかない。
それはそれは丁寧にマスキングをして塗装をした。
これがとても面倒な作業なのだが、不思議と苦じゃない。
そして時間が早く流れていく。
昔から工作はよくやってきたが、
ちまちまと自分の世界に閉じこもる時間が大好きなのだ。
Instagramに投稿してみたが、
出来はまあまあといったところか。
昔は塗装が苦手だったのだが、
好きでいろいろやってるうちにだいぶ上達したと思う。
何事も回数を重ねてやってみるものだ。
やり始めたらより美しいものを求めてしまうのが、
悲しい人の性。
もう少し上手くできそうな気がするので、
明日また塗装を剥がしてやり直そう。
失敗するかもしれないけど・・・まあその時はその時だ。
胃腸がやられた。
大食いのくせに胃腸が弱くないのだ。
おかしいと思ったのは日曜日の昼だろうか。
下腹部に熱い油が流し込まれたような違和感。
翌日の夕方ごろになり本格的にだるさが襲ってきた。
夜中に腹痛で目覚めること数回。
火曜の朝には発熱までする仕上がりっぷりであった。
そこから寝込むこと2日。
今も腹に違和感は残っているのだが、
体調はすっかり回復した。
実は火曜日が雇用保険の認定日だったのだが、
あのような体調で車を運転すれば、
行先が塀の向こうか川の向こうになることは
火を見るよりも明らかだったので、
ハローワークへ行くことが出来ず。
いろいろと面倒なことにはなったのだが、
珍しくきちんと病院で受診したおかげで、
珍しくその領収書をきちんと保管していたおかげで、
手続きは事なきを得た。
それにしても、この2日はあまり食事を取らなかったのだが、
見事なまでに体が軽い。
普段が食べすぎという自覚はあるのだが、
これほど体に変化が現れると驚いている。
そして、ひょっとすればこのぐらいの食事量が
正しいのではないかと疑ってもいる。
苦しい思いをした末の発見。
そう思えば、体調を崩したことも悪くはない。
まあ、食べることが大好きな私が、
食事量を減らせるかどうかは分からないのだけど。
電車に乗った。
よく使う阪急宝塚線。
twitterで知ってはいたのだが、
ホームにやってきたのは沿線の風景が
イラストでラッピングされた電車だった。
別に乗ったからと言って何か特典があるわけでもないのだけど、
なんとなく嬉しい。
不思議と誇らしくなるのだ。
そういえば普段使っているnanacoカードは、
兵庫県限定のデザインをしている。
手塚治虫作品の主要キャラと、はばタンが描かれた、
お気に入りの一枚。
そう考えると、小さいころはなんとも思わなかったはずなのに、
年を重ねるごとに地元が好きになっている。
愛せる場所があるっていいなと、我ながら思う。
昼にサイゼリヤへ。
学生時代は嫌というほど通い詰めたが、
最近は行くことがめっきり減った。
土曜ということもあるのか、
家族連れと、世間話に花を咲かせるおばちゃん達で、
それはそれは騒がしい店内だった。
もっとも、それも含めてのサイゼリヤだ。
値段相応のチープさ。
出てくる料理はあまり美味しそうには見えないが、
食べる分には十分だ。
気取らないで食べるご飯は美味しい。
染みついた貧乏性が多少イヤになりながら、
そんなことを思った。
・・・1人1000円。
そうだな、次はもう少し落ち着いたところで食べよう。
昨晩は仲間とともに飲み屋を3軒ハシゴ。
電車もなくなっていたので始発までカラオケというコースだった。
最近は何故か山口百恵にハマっていることもあり、
彼女の曲をいくつか歌ったりもした。
浮かびあがってくる情景と哀愁がどこか好きなのだ。
話は変わって、3年ほど前に放送された深夜の音楽番組。
高橋みなみとマキタスポーツとチャラン・ポ・ランタン。
この3組で対談する内容だった。
この時の対談の内容が非常におもしろく、
未だにレコーダーから録画を消せないひとつになっている。
この対談で、マキタスポーツが名曲として挙げていたのが、
尾崎紀世彦のまた逢う日まで。
短い曲でありながらドラマティックに仕上がっていると。
そして、歌謡曲と呼ばれた時代は、音響機器も今ほど発達しておらず、
メロディだけで伝えきれないことを、詞にして伝えていたと。
この話を聞いて、私は凄く感心させられた。
山口百恵を聴いているのは、頭のどこかにこの話が残っていたからだろうと思う。
昔は良かったなどと片付けてしまう気はない。
ただほんの少し、言葉を大切にできる時代の方が高尚な気がしてならない。