昨晩の日本アカデミー賞を見ていた時のこと。
助演男優賞を受賞した村上虹郎は両親がともに芸能人らしいのだが、
そんな彼を番組では
「表現者の血を受け継ぐ・・・」
と紹介していた。
私は、その表現者という言い回しが何故かとても気に入った。
当たり前ではあるのだけど。
そういえば最優秀主演男優賞を受賞したのは菅田将暉だったが、
1ヶ月ほど前に放送されたテレ朝系の音楽番組“関ジャム”で、
音楽プロデューサーのいしわたり惇治が、
歌手活動もこなす菅田の楽曲に対して面白い評価をしていた。
いつからか日本の音楽はアーティストと呼ばれる人たちの自己表現の場になってしまいましたが、かつては「役を演じるプロ」である俳優ならではの歌というのが沢山ありました。菅田将暉の歌を聴いていると、忘れかけていたその感覚が帰ってくる感じがします。
私自身は音楽的造詣が深い人間ではないため、
俳優ならではの歌というものが音楽界に必要な理由や価値までは分からない。
ただ、ヒットチャートや音楽シーンに一石を投じたであろういしわたりのコメントと、
自己表現でなく誰かの代弁者として歌う“俳優”菅田将暉から、
時代に流されない芯の強さや美しさを感じたのだった。
昨晩、表現者という言葉を気に入ったのも、似たようなところがあるかもしれない。
自らを表現するだけならば、誰だって何かしらの方法で出来るのである。
すなわち、誰しもがアーティスト。
だけど表現者という言葉を使うことによって、
彼ら芸能人は自己表現よりもっと先を生きている感じがヒシヒシと伝わってくるのだ。
そんな言葉にこもったリスペクトが、どこか気持ちよかったのかもしれない。
もっとも、俳優を他の言葉で表現することもまた難しいのだけど。
仕事を辞め地元へと帰ってきたのが11月。
それまでのおよそ1年半は、生まれ育った関西を離れ、
縁もゆかりもない徳島の地で暮らしていた。
自然を感じられる素敵な街ではあったが、
友人や家族と気軽に会えるわけもなく、
仕事でも同年代との付き合いは特になく、
息抜きに困ることが多かった。
何より、決して良いとは言えない給料と、
それでも給料に見合った働きを出来ていないという自覚が、
ストレスとなって自分を苦しめていたと思う。
振り返ってみればどうにか乗り越える方法は
あったのだろうが、
退社を決意する直前は何から何まで裏目に出る始末で、
「これ以上の迷惑はかけられない」
という思いで、意外とすんなりと決断できた。
それからおよそ4ヶ月。
・・・お金が・・・お金がない。
ろくに貯金もしておらず、
残っていたお金はそのほとんどが引っ越し代へと消えた。
雇用保険があるにはあるが、
自主都合の退職のため受け取れるのはこの3月から。
幸か不幸か、4月からの再就職が決まったため、
そんな短期でアルバイトとして雇ってくれる所もない。
仕方なく両親に泣きつき、
30万円ほどお金を借りて、この3ヶ月ほどを生きている。
こんな穀潰しを養ってきた親はなんと偉大な存在か。
改めてそう思った。
お金を稼ぐのは大変だ。
当たり前のことだけど、学生時代に漠然と考えてた大変さと、
現実は大きくかけ離れていた。
就職して間もないころ、事業計画のようなものを
書く機会があった。
大学を出たばかりのペーペーの自分にそんな機会を与えたのは、
社長の厳しさであり、親心のような側面もあっただろう。
経済も経営も学んできたわけではないから、
見よう見まねで書類を形にしてはみたが、
紙の上に出来上がった会社は紛うことなきブラック企業。
無理やりホワイトにすれば、採算なんて取れたもんじゃなかった。
とにかく人件費ってバカにならない。
世間では労働力を搾取する会社が問題視されているが、
この時ばかりは少し気持ちがわかった気がする。
SNSを開けば、
「〇千万の仕事ガー」「〇億の仕事ガー」
と、自慢のように忙しいアピールをしている人がいる。
きっと多くの人が関わっているその仕事の中で、
自分の手柄だと胸を張って言えるのは何円分だろうか?
その額は、ちゃんと受け取る給料よりも
多くなっているだろうか?
こんなことをいちいち考えてしまう
己のひねくれっぷりもどうかしてるが、
現実が見えているということにしてポジティブに捉えておこう。
話は変わって、近所に入るのをためらうような
ラーメン屋がある。
家から歩いて5分ほどなのでちょくちょく足を運び、
今日もここで昼飯を食べた。
現在はだいぶ改善されたのだが、
オープン当初は豚骨の獣臭が店の外まで広がり、
店名すら書かれていない真っ青なテント屋根と、
弁当屋の居抜きそのままのガラス張り(しかも枠が緑)という、
集客をする気をまるで感じないお店。
よほど近所の人間でなければ、
その存在すら知ることはないだろう。
ところがこのお店、
勇気を出して暖簾をくぐれば、
なかなか美味しいラーメンを出してくれる。
しかも1杯580円。今時にしてはだいぶ安い。
580円でいったいどれだけの儲けになるのだろう?
1ヶ月でどれだけの収入になるのだろう?
ラーメン屋がおいしいラーメンを出すのは良い仕事をしてると言えるけど、
その価値は本当に580円なんだろうか?
なんて野暮なことを考えながら、今日もスープまで飲み干した。
今度は誰か友人でも連れてこよう。
これだけのラーメンを出すお店。長く続いてほしい。
やっぱり、お金を稼ぐって大変だ。
今さらながら、ブログ、書きたくなった。
ブログというものを初めて書いたのは
12~3年ほど前のこと。
小学6年生のマセガキは、
クラスメイトよりも
少しばかりPCの扱いに長けていて、
世間の流行に乗るようにブログを開設した。
もちろん小学生の戯言を誰かが見るわけでもなく、
あっという間に飽きてしまったのだけれど。
次に書き始めたのは高校生のころ。
サッカー観戦に熱中し、
「この感動や興奮を誰かと分かち合いたい!」
なんて思いで書き始めたブログは、
それなりの反響とともに、それなりに続いた。
ただ、やがて訪れるtwitterやinstagramといった
大SNS時代の幕開けと、
自分自身の進学や就職によって、
以前のようなサッカーへの情熱を持てなくなった。
そして、最後の投稿がおよそ2年前。
以降はまったくと言っていいほど、
書く気にすらならなかった。
ところが今。
自分はなぜかこうしてブログを書いている。
いくつか理由はあるけれど、純粋に、
自分の言葉や思いを記しておきたくなった。
誰が見るわけではないだろう。
誰かの為になるわけでもないだろう。
だけど、喉元でグッと飲み込んできた言葉たちに、
どこか居場所を作ってあげたい。
言うなれば、自分のためのブログ。
誰しも自分がかわいくて仕方ないのだ。
だから、毎日かわいがろう。